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弘兼氏のシビリアンコントロール論

 以前のエントリーで批判すると予告してすっかり忘れていた人物、島耕作…じゃなくて作者の弘兼憲史を批判したい。
 ただ、弘兼氏は例示に過ぎず、この漫画家の発言をもとにして、<日本のシビリアンコントロール論>を批判することが目的である。


 まずは、東京新聞の特集『試される憲法』での発言をお読み願いたい。ヨタ発言のフル引用は気持ち悪いので、長くなるのでリンク先に飛んでください。

「漫画家の弘兼憲史さん 自衛隊を軍隊と認めようよ」


 弘兼氏の主張は、
【1】9条を変えて自衛隊を軍隊に
【2】集団的自衛権が必要
【3】スパイ防止法が必要
というヨタウヨ主張そのままだ。目新しさは何もない。

 この男(やウヨたち)の困るところは、いつも主張の根拠が全くないことだ。自分の思い込みと情緒だけで話している。しかもそれに無自覚であるところも大変困る。

 さて、このすべてに反論することはいともたやすいのだが、ここでは【1】の根拠らしきことを述べている以下の部分に着目したい。これが弘兼氏のシビリアンコントロール論だ。(イヤだけど引用します。)




「いつか来た道論」ってありますよね。「九条を改正すると日本は軍隊を持つ。軍隊を持つと侵略したくなる。すると、また昔のもと来た道で軍国主義になるのではないか」という。どう考えたらそうなるのか、聞いてみたいですよ。軍部が独走するわけですかね。
 僕は軍が暴走するはずないと思っています。シビリアンコントロール(文民統制)ができていますから。防衛省の職制の中に役人と軍人が交互に入っているわけです。軍人だけが暴走しないように情報も全部通じるようになっています。





 役人と軍人が交互に入っていればシビリアンコントロール?軍人だけが暴走しないように情報も全部通じるようになっている?全部通じちゃってるの?秘密ってないの?
 自分の右脳左脳の情報が相互に通じるようにきちんとコントロールしたほうがいいんじゃないか?頭の中には軍人しかいないようだな。役人もちゃんと入れとけ。笑っちゃってしょうがないぞ。大丈夫か?オイ、弘兼。

 というツッコミはともかく、最近ネットで激しく追求されている佐藤元自衛官のトンデモ発言を弘兼氏はどう捉えるのだろうか。

 佐藤氏は軍人(自衛官)であった。もし弘兼氏のいうことが正しいならば、軍部独走の考えを持った軍人を抑える役人が存在しなければならないはずである。果たしてそのような人物はどこにいたのであろうか。

 いるはずがないのだ。

 たとえ役人であっても、防衛省・自衛隊の中に入ってしまえばその組織の論理に引きずられる。軍人も役人も同じような考え方になる。軍人と同じ考え方をする役人が何人いても軍人の暴走を抑えることはできないのだ。軍隊組織内部におけるシビリアンコントロールなどには石ころほどの価値もない。特に日本においてはそうである。

 このように思考することこそが、経験や歴史から真摯に学ぶ人間のとるべき正しい態度だ。無謀な戦争を起こしてきた軍隊を持っていた国民なら(であればこそ)、その悪性の継続を懸念する方が人間として誠実である。

「どう考えたらそうなるのか」などと聞く弘兼氏が無神経で無教養なのだ。今も昔も同じと主張する私達が、弘兼氏に「どう考えたらそうなるのか、聞いてみたいですよ。」(「憲法が変わったから戦前とは違う」などというのは冗談にもならないのでやめてね。)

 日本においてシビリアンコントロールが成り立たない一番の根拠は、日本人の大多数が持つ<専門家主義>という特性にある。(これについては機会があれば別に書いておきたいが、故森嶋通夫氏の主張である。)
 <専門家に任せれば安心>、<専門家のやることに口を挟むな>という文化があるところではシビリアン(市民・文官=軍事素人)コントロールが成り立つはずがない。

 結局、弘兼氏(やウヨ達)が金科玉条のごとく持ち出す日本のシビリアンコントロール論(しかも彼らは「文官」の意味でのみ「シビリアン」を使っている)は日本人が専門家主義を捨て素人主義になったことを合理的に証明しない限り、成り立たないものなのだ。

 つまり、知性的な素人発言(みのもんた発言ではダメ)を専門家の発言と同レベル以上に扱うことが社会一般の価値観とならなければ、日本にシビリアンコントロールは決して根付かない。したがって、軍隊を持てば必ず独走・暴走する。「黙れ!」との一喝の下に。

 これを理解しないで発言する弘兼氏(やウヨ達)は、ただ軍隊が欲しいだけの精神的に未成熟で想像力のないお子ちゃまといって差し支えあるまい。彼らの期待通りに憲法が変わり、徴兵制がしかれるまでわからないのだろう。いや、それでも足りないであろう。おそらく自分が兵隊に取られ軍隊に入ったときに気がつくのだ。日本のシビリアンコントロールが幻だということに。

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