久しぶりの更新です。
ちょいとプライベートで忙しい事情があってブログに手が回りませんでした。
今回書きたいことは<死刑反対>これだけ。
超有名カリスマブログのきっこさんが
命でしか償えないことというエントリーを書いているが、全く賛成できない。
私が愛読するブログ「反戦な家づくり」の明月さんが
光市事件の不当判決についてというエントリを書いておられるが、こちらの方が圧倒的に説得力がある。
もう一つ、これも私の大好きなブログ「ミクロネシアの小さな島・ヤップより」のsuyapさんが書いておられる
わたしは「下」が好きこれも説得力がある。
と書いても、おそらく死刑賛成派はまったく理解できないであろう。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!
結局、頭の中にこれしかないんだろうなと思う。
正直、悲しい。
たとえば、きっこさんは死をもって償うのが当たり前だ!という趣旨の発言を繰り返しておられるが、それが国家という権力の下に行われていることをどう考えるのだろう。国家に対してあれだけ批判的な人が。
自分が手を下すことのできない食べ物を食べることはおかしい、ととれる趣旨の発言をを繰り返しておられるが、ならば死刑はどのように行われ、誰が行っているのか分かっているのだろうか。ご自分で死刑執行ができるのであろうか。
結局は屠殺と同じでほとんどの人にはできないことを死刑執行人に委託してやってもらっているのだ。ならば、自分でできないことを「やれやれ」ということは矛盾ではないだろうか。
殺されても仕方がない、と個人的に思う人間であっても、その殺人を自分の手で行わない前提で「殺せ」というのは無責任に感じる。屠殺の話もするべきではないであろう。
死刑は粗野かつ下品な刑罰だ。
現実にいわゆる文明国の中では、死刑を廃止している、あるいは運用で停止している国の方が多いのだ。
心情で死刑の良さを語るなら、理性で勝ち取った人権や民主主義などを語る資格はないと思う。
いつまでも心情=「だって私はキライなんだもん!」で物事を判断するなら、そのような人が理性を持った行動を他人に訴えることが自体が空虚、いや、まやかしだと気づいてほしい。
私は以前にも書いたが、終身刑を設けて死刑を廃すべきという立場だ。
「殺せ殺せ」という世論で死刑判決を受けた人を、何の恨みもないにもかかわらず殺している人(執行人)を税金で雇っている現実が相当狂っていると思う。